SSブログ

「深層地下4階」 [Book - Horror/SF/Mystery]

「ジュラシック・パーク」「ミッション:インポッシブル」など、ハリウッドのヒット映画多数を手掛けた脚本家の小説家デビュー作。


「深層地下4階」D・コープ著(ハーパーBOOKS刊)

◆内容紹介(裏表紙から)
前科持ちのティーケイクは、いつも通り貸倉庫の夜勤シフトに入っていた。ふと気づくと、壁の奥からかすかなブザー音が聞こえる。発信源を突き止めるため、同僚のナオミとともに壁をぶち破ると、そこにはブザー音と異常を知らせるランプが点滅する、存在しえない深層地下階の図面パネルがあった。それは40年前、小さな町を全滅させるほどに進化した生体が極秘に封印されている場所だった……。


 物語は冷戦終結前の1987年、ロベルトとトリーニ、2人のアメリカ軍将校がある生物のサンプルを政府の貯蔵施設の奥底に保管するために向う描写から始まる。
 彼らはそのしばらく前、西オーストラリアにある辺境の町からの通報により、一人の女性微生物学者と共に現地へ渡っていた。彼女は'70年代のNASAの宇宙ステーション(スカイラブ)計画の過程の中で、宇宙に運ばれたある菌類―真菌類生物がスカイラブの残骸と共に地球へ戻ったのだと語り、さらに高レベルの遺伝子構造の変化によって新種の生物―コルディセプス・ノヴァスが誕生したのだと推測する。
 ―最終的に、ロベルトとトリーニは大きな犠牲を払いつつ、コルディセプス・ノヴァスを壊滅した町ごと焼き払い、極微量の標本をアチソン洞窟の政府貯蔵施設の深層地下4階に封印する……ここまでが約70ページほどのプロローグ部分。

 本筋はそれから32年後の2019年、アチソン洞窟の貯蔵施設は既に民間に売却され、一般向けの貸倉庫となっていた。封印された真菌の存在は次第に忘れ去られ、なかったものとなっていた。
 そんなある日、貸倉庫の夜勤シフトに入っていた前科持ちのお人好しの青年ティーケイクは、耳慣れない警報のブザー音が壁の中から聞こえて来るのに気付く。同僚で、以前から密かに気になっていたシングルマザーのナオミと相談した結果、壁を壊して音の正体を確かめようとする。
 壁の中には複雑な計器パネルと警告を告げる点滅ランプ、そしてこの貸倉庫には存在しない深層地下4階を示す図面パネルが現われる。二人はその深層地下4階まで降りてみることにする。

 その後、地下深く封印されていた筈のコルディプス・ノヴァスが異常な進化能力によって既に封印から逃れ地上へと現れていたことが描かれ、ナオミの元夫、ティーケイクらの上司グリフィンやその仲間、貸倉庫の顧客の一人の老婦人ルーニー、さらには既には退役していたロベルトらも巻き込んだ地獄の一夜となる……。

 ジャンルとしてはバイオ・ホラーになるんだろう。真菌生物であるコルディセプス・ノヴァスだが、このモンスターっぷりが凄まじい。宿主となる高等生物(人間その他の哺乳類、昆虫etc)に取り付くと急速に体内を移動、脳に寄生して急激に増殖し宿主をコントロール下に置き、最後には宿主の身体内に充満、破裂してより増殖しようとする。学習能力を持ち(脳も意識もないのに)、さらには自らの構造を変え化学物質を構成していく共生体を持つため、様々な障壁も突破してしまうというチートぶり。感染した生物は、死体であろうとこの真菌によってゾンビの如く動かされ、自らをばらまくために利用されることとなる。何となく「ガメラ2」のソルジャーレギオンとレギオン草体(プラント)を思い出した。ソルジャーとプラントはあくまで別個体であり、爆発して種をばら撒くのに対し、こちらの真菌は宿主を破裂させて自らをばら撒くのだが。

 この辺りの解説は研究者などの登場人物の口から語らせるのでなく、あくまでも作者―神の視点から描写されるので、「増える」という本能だけで個/総体としての意識や知能、そもそも脳すらないはずの真菌が、一個の意志を持った怪物のようにも思えて来る。登場人物たちの描写が続く中に、怪物自身のモノローグが挿入されるのはホラー(ミステリなら犯人)で時折見受けられるパターンだが、本作ではプロローグの段階でこの怪物がどんなものなのかある程度明確にわかってしまうので、感染したら100%死ぬというヤバさは印象付けられるが、一方で「相手が何なのかわからない怖さ」という点は削がれてしまったようにも思える。

 登場人物についてはかなり書き込まれており、特にティーケイクとナオミ、そして退役軍人のロベルトについては……現代社会における種々の問題も含め、特に丹念に書き込まれている(ラストで活躍するのかなと思った人物が途中であっさり退場してしまう面もあるが)。
 真菌による感染(寄生)というキーワードがあるので、ある程度大規模なパニックが起きることを期待したのだが、人物描写に紙数を割いたからか、事件規模や関わる人物は案外コンパクトな印象。これは著者が映画を多く手掛けた脚本家だったことから、映像化した際の尺を無意識のうちに考慮していたのかも。そう考えてみると、様々な場面が全て具体的にイメージしやすい(頭の中で映像化しやすい)のも、著者の腕なんだろう。

 ラストは一気に畳み掛けるというより、力づくで強引にカタを付けたという感じ。これはストーリ自体もそうなのだけれど、色々な面でアメリカらしいよねと思える一方で、この最終手段を実際に(作中で)用いたフィクションって実はさほど多くないんじゃないかと(宇宙方面は別にして)。いずれにせよ日本じゃ絶対に不可能だが。

 映像化は……やっぱりない、だろな。

banner_03.gif
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ ブログランキングに参加しています。

   ↑よろしければ ↑1クリック お願いいたします。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。