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クルマのパーツ交換 & 6か月点検 [Other Topic]

 家のクルマの総走行距離が、先日5万kmを越えた。
 前のクルマは3年半で6万km突破(という記事を書いていたのに今回気付いたw)なので、以前より走行ペースは落ちているんだろう。確かに、テニスの頻度も減って合宿などの遠出もしなくなったし、クルマ自体の使い方も結構変わったからなぁ……それでも、通勤に使わないのに月1,000km以上走るのは、やっぱり多い?

 運転席側ドア下のサイドシルスポイラーが、この3か月弱ほど壊れていた。
 7月頃に弟が使った際、帰宅時に激しい雨が降っていたため急いで降りた際に足が滑り、サイドシルの部分に靴のかかとをひっかけてしまったのだとか。

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 ディーラーで診てもらったところ、パーツの接合部が外れたのではなく、完全に折れてしまった状態。それでも、ボディとの接合部がいくつかあるうちの2つほどが折れただけだから、普通に走っている限り脱落することはなさそうだったので、翌月(8月)下旬には6か月点検もあるし、交換修理費用の見積もりだけしてもらい、交換は点検時にいっしょに……というつもりだった。

 が、8月9月と忙しかったり予定が合わずだったり、なんだかんだでディーラーに持ち込むことができず。今週になってやっと都合がついたのでパーツ手配を依頼し、今日になって持ち込んだ次第。
 交換作業と6か月点検を併せて行うので、2時間半くらいはかかるということだったので、ディーラーの建物の目の前にあるららぽーと立川立飛で時間をツブすことに。
 やっておきたい仕事もあったのだけれど、平日の昼下がりにああいうショッピングモールのフードコートでノートPCを広げてカタカタやるってのもどーも気恥ずかしい(自意識過剰か?)ので、昼食代りの博多ラーメンを食べた後、ららぽーとを出て近くのマックへ移動……ホントは喫煙席のある喫茶店(コメダとかドトールとか)がいいんだけれど、歩いて行ける範囲にないので。

 学校帰りの高校生たちが楽しそうな横で、(おーおー、青春しとるのぅ)と爺臭いつぶやきをアイスコーヒーで飲み下しながら書類を作りつつ、作業の完了連絡を待った。
 久々のマックフライポテトはしょっぱかったっす(-_-;)。

 16時半を過ぎて連絡は来ていなかったけれど、そろそろ出来てる頃だろ、とディーラーへ戻る。表の駐車スペースにうちの車が洗車仕立ての状態であった。精算作業中で「この後お電話するところでした」だと。
 パーツ交換も無事完了、点検の結果、異常等も何もないとのこと。オイル交換も済んで一安心。

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 パーツ代金+工賃で、しめて¥28,922也。けっこう大きなパーツだから仕方ないか。6ヶ月点検のはメンテナンスパック(回数券みたいなものか)に入っているので、次回と次々回の点検までは基本無料。

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 作業後の姿はこの通り。
 これで、乗り降りの際にふと気になることもなくなるw。
 雨続きで全く洗車できてなかったので、車内まで含めてキレイにしてもらったのもホントにありがたい。

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 ディーラーからの帰り際、新型セレナのボックスティッシュをもらった。
 車内で使っていたのがそろそろなくなりそうなので、その次に使わせてもらおっと。

 過去の記事を見ていたら、ちょうど一年前にもクルマのことについて書いていた(片側のリアタイヤに釘が刺さっていて、タイヤ交換するハメになったという話)。
 その時が3万7千kmくらいということだから、そこから1年でほぼ1万3千km走ったってことか……ふむ(・ω・) 

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最近読んだ実話怪談本×4冊 [Book - Horror/SF/Mystery]

 気付けばこのところ実話怪談本を濫読気味だったので、印象が薄れる前に4冊分まとめて。
 その手のものは苦手な方はスルーして下さい。ホントにすみません[あせあせ(飛び散る汗)]

「怪談恐山」高田公太著(竹書房文庫刊)

◆内容紹介(裏表紙から)
あの世にもっとも近い場所、恐山。日本最大の霊場に纏わる戦慄譚を、恐山を知り抜いた青森県出身の著者が渾身の取材で書き下ろす実話怪談集。娘の誕生日に貰った風車、その日から家族の様子が…「いざ、最悪のほうへ」、赤い馬を見ると死ぬ、祟られた一族の顛末…「天馬よ昇れ」、家中が水浸しになる謎の濡れ部屋…「真相究明」ほか、恐山怪談以外にも味わい深い、極限の35話!

 タイトル、それに社員旅行で恐山の禁忌を犯した客が招いた結末「貸し切りバス」が冒頭に来ることで、収録の話がみな恐山絡みか、少なくとも青森県にまつわる話を集めたものかと思いきや、実際はそういうわけでもない。当初はそのような構成にするつもりだったと「あとがき」にはあるが、何篇おきかに恐山絡みの話が挿まれるので、むしろ効果的なのかもしれない。
 印象に残ったのは……

  • 葬式帰り、レストランで酔い潰れ、目を覚ました男がいた意想外な場所「どこと?」
  • 実家の中で時々落ちているもの「誰のものとも知れず」
  • レストラン客の落とし物を拾った翌日から、店長に起こった奇妙な変化「分からん」
  • ある新入社員が配属された風変わりな営業所と、不可解な仕事「新人」
  • ある会社社長の娘の誕生日に送られてきていた”あるもの”……「いざ、最悪のほうへ」など。

  特に「いざ、最悪のほうへ」の何とも言えない怖さは、こういう恐山絡みの怪談を期待していた―といったらバチが当たるだろうか。 

 

「厭魂」つくね乱蔵著(竹書房文庫刊)

◆内容紹介(裏表紙から)
生きるも地獄、死ぬるも地獄……。
人間の心の闇、業の深さが招く、とんでもなく厭な話、怖い話。見ると祟られる山神様の祭り…「閲覧注意」、死んだ母が迎えに来る…「一晩だけの勇気」、水死体の下にあった砂を持ち帰った男は…「不純な動機」、孤独な新米母にできた初めての親友…「公園友達」ほか、厭系怪談の妙手が聞き集めた、生者と死者が呪い合う凄絶なる実話、全31話!

 読んでみたい気持ちはありながら、書店で見つけても何となく購入が躊躇われていたのだけれども……。タイトル、そして既読の「FKB 怪談五色2 忌式」などで強烈な印象が残ったこの著者の作品イメージそのままに厭な読後感。心霊や不可解な現象よりも、それに関わった生身の人間の、ささやかながら剥き出しの悪意を最後にこちらに放り投げるように提示してくるというか。例えば「我が家」を読むと、知人の善意というものを無条件に信じられなくなるかも。それらの悪意の殆どは、保身や我が身可愛さといった正直な感情から来るものであったり、あるいは長年の憤懣や鬱積の意趣返しの現れだったりするのだが、中には理不尽極まりないもののあるわけで。
 また、よくある実話怪談のパターンで終わるかと思いきや、強烈に厭なオチが待っている話も少なくないので油断ができない

  • 死後もなお飼い主の娘を守っていた忠犬の話……のはずが「そばにいるよ」
  • 蒐集癖のあった祖父のコレクションの中にあったもの「遺品整理」
  • 病死した母親が連れて行こうとする娘二人を守ろうとした夫婦と、その後日談「一晩だけの勇気」
  • 幽霊屋敷として有名な家がその町内に存在し続ける理由「自己責任」
    などはそれに当たる。

 中でも、ラストの「悲願達成」は、正直かすかな吐き気を覚えるほどに厭な話。こればかりは全くの創作であって欲しいと思うのだが……少なくともここに登場するような家族は実際に、しかも世の中にはいくつもあるのかもしれない。

 

「山の霊異記 幻惑の尾根」安曇潤平著(角川文庫刊)

◆内容紹介(裏表紙から)
冬の閉ざされた山小屋の一室で毎年起きる怪異とその顛末に戦慄する「五号室」、キノコ狩りに夢中になるうちに道に迷った男が寂れたゲレンデ跡で遭遇した恐怖を描く「リフト」、仲睦まじく登山道を歩く母娘に呼びかける父親の声の正体が切ない「呼ぶ声」等、20話を収録。山をこよなく愛し、数々の山に登り続けている著者が訊き集めた話を、臨場感たっぷりに綴る。登山者を異界へと導く、山の霊気に満ちた山岳怪談集。 解説・星野潔

 安曇潤平の山岳実話怪談集。「赤いヤッケの男」「黒い遭難碑」に続く、≪山の霊異記≫シリーズの第3弾。
 面白いことは面白いし、山ならではの怪談として楽しめるのだが、巻を重ねる毎に創作怪談色が増していってるのは気にならないでもないし、各話前半の山行の描写がちと多過ぎて冗長な感もあり。とはいえ、純粋に「怖い話」の続く中に、「不思議だけれどいい話(泣かせる話)」や「ファンタジー色の強い幻想譚」が織り交ぜられて、いい塩梅になっている。
 前者では、理由も何も不明なままだが怖い「五号室」「異臭」「豹変の山」、ダメ押しがズルい「古の道」など。後者なら、山に消えた者の遺された家族への思いを描いた「呼ぶ声」「息子」、亡き先達への畏敬が起こした不思議な邂逅「終焉の山」などか。
 正直、実話怪談として読むならややフィクション色が強いようにも思えるが(幽霊がどれも実体感あり過ぎだろ!とか)、山という異界なら、あるいはそういうこともあるのかもしれない……とも思えてくる。

 実はこれ、単行本で出ている「ヒュッテは夜嗤う 山の霊異記」(幽BOOKS)の文庫化なのだが、なぜ前2冊とは異なりタイトルを変え、しかも角川ホラー文庫でなく、”角川文庫"で出たんだろう?
 その辺りの切り分けが今以てよくわからん。

 

「怖の日常」福澤徹三著(角川ホラー文庫刊)

◆内容紹介(裏表紙から)
ひとり暮らしの部屋で、深夜パソコンに向かっていると背後から聞こえる奇妙な音…その正体に震撼する「カタカタ」。朝起きるたび、数が増え深くなっていく引っ掻き傷に、じわじわと追いつめられていく「傷」。実在の事故物件をめぐる、不穏なシンクロニシティ。併せて読むと怖さが倍増の「残穢の震源から」「三つの事故物件」等、全62話を収録。日常に潜む忌まわしさと恐怖を端正な筆致で炙り出す、正統派の怪談実話集。

 言うなればここ数年、各出版社から濫造気味な実話怪談集……ではあるのだが、著者既刊の「黒い百物語」や、昨今の竹書房文庫系の怨念とか呪いとか禁忌とか、そういった解り易い(というと語弊があるか)怖さの怪談というよりは、心霊譚とは言い切れないまでも、不可解というか不可思議な体験談の聞き書き集といったところで、小野不由美「鬼談百景」にやや近いテイストかもしれない。一篇辺りがどれも短いということもあるのだが。
 巻末収録の「残穢の震源から」は小野不由美「残穢」のクライマックスに関わってくる内容でもある(なんせその作品に実名で登場するわけだからw)。また「三つの事故物件」は、著者本人の話でもあるのだが……本編よりもこの2篇の方がぞわっとさせられる。 

 さすがに4冊続けて読んだわけではないのだけれど、あまり間を空けずに読むと怖さの感じ方が鈍くなってくるというか、不感症気味になってきそうな気も。
 怪談ジャンキー、なんていうほどじゃないとは思うが、精神的にも少々よろしくないのかも……。

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「知れば恐ろしい 日本人の風習」 [Book - Public]

 日本人にとって馴染み深い風習やタブー、季節の行事、さらには子供の遊びや昔話のルーツを検証し、我々の先祖がそれらに込めた「”恐怖”に対する智慧」を探っていく。

◎「知れば恐ろしい 日本人の風習 
  :『夜に口笛を吹いてはならない』の本当の理由とは」
         千葉公慈著(河出文庫刊)

◆内容紹介
なぜ、夜に爪を切ると「親の死に目にあえない」と言われるのか?「孟蘭盆会(お盆)」の起源は地獄での“逆さ吊り”の刑にあった―日本のしきたりや年中行事、わらべ唄の昔話には、どこか不気味なものや、ルーツに恐ろしい逸話が隠されているものが多い。それはいったいなぜなのか。風習に潜む恐怖の謎解きをしながら日本人のメンタリティを読み解く。 

 日本で昔からあるしきたりや習俗、季節の祭事、さらにはおなじみの昔話等々の起源を解説している。

 第1章は「しきたり・タブー」
 タイトルにある「夜に口笛を吹いてはならない」の理由について、悪霊や妖怪を呼び寄せる、蛇を呼び寄せる、人攫いが来る、親を早死にさせる等々の俗説や迷信をあげた上で、口笛がかつて「嘯(うそぶ)き」と表現されていたことから、神や精霊を招く力がある=神聖な行為だからこそ、濫りに行ってはならぬ戒めであった、とする。さらに曹洞宗の僧侶という著者の立場から、仏教の発遣供養(魂抜き)における作法の影響もあるのではないか、と推測する。 
「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」は、戦国時代の城の不寝番が親が亡くなっても持ち場を離れられない重責であることから、不寝番即ち”夜詰め”と夜爪の語呂合わせから来た―という俗説、さらに日本人が古来から爪や髪を神聖視してきたことを「日本書紀」やその他の記述から紹介している。

 第2章は「年中行事」。年始の「獅子舞」に始まり「雛祭り」「花見」「七夕」「酉の市」等々を経て、暮れの「煤払い」まで、 一年の22の行事を取り上げている。「七草粥」や「端午の節句」、「盂蘭盆会(お盆)」といった馴染み深いものから、「事八日(2月と12月の8日)」「河童祭り」「重陽の節句(9月9日)」といった耳慣れない、あまりピンとこないものまであるが、それら悉くが日本人の死生観や信仰心、そして農耕文化と深く関わっていることに改めて気付かされる。
 ちなみに本書では「お彼岸」の行事の起源が、桓武天皇の弟で、政争に敗れ幽閉の末に憤死した早良親王の霊を鎮めるための行事だった、とある。その他「盂蘭盆会」や「節分」なども、昔自分が学んだものとは異なる点もあるが、その辺りは諸説あるうちの一つとして、著者の立場で取り上げているものなんだろう、と。

 第3章は「子供の遊び・わらべ歌」、第4章「昔話」を扱っている。
 子供の頃やった記憶のある「えんがちょ」のしぐさが、平家物語の絵巻にも描かれているというのは面白いが、この仕草自体の明確な起源は未だ不明とのこと。と言うより、これらの遊びやわらべ歌自体、様々な諸説、異説、解釈が存在するようで、はっきりしているのは「起源自体が明確でない」ということのようだ。
「昔話」では「かちかち山」、本邦に於ける人魚伝説「八百比丘尼」、日本のシンデレラともいうべき「米福粟福」、そして松谷みよ子の名作童話『龍の子太郎』の元となった民話「小泉小太郎」を紹介している。 

「知れば恐ろしい」というのは、今はどうということのない習わしであっても、かつては死やそれに付随するもの、それに対する当時の日本人の意識―即ち怖れ、あるいは畏れ―が反映されているということなのだが、今よりもはるかに死が身近であった時代では、むしろ当然のこととも考えられる。

 ところで、近年は昔話等から残酷な要素、死に関する事柄を一様に「子供の教育上よろしくない」と忌避し遠ざける流れが特に顕著なようだ。
 例えば昔話「かちかち山」にしても、かつては爺さんに捕えられたタヌキが婆さんを騙して縄を解かせた挙句、逆に杵で搗き殺してその肉を鍋に入れ(!)、婆さんに化けて何食わぬ顔でそれを爺さんに食べさせ(!!)、「爺さんが喰ったのはタヌキ汁じゃなくババア汁、流しの下の骨を見ろ~」と嘲笑いながら逃げていく―という、悪趣味ホラーもかくやの場面があったはず(自分が読んだのはタヌキが婆さんを殺して逃げるものだった)だが、近年では婆さんは殺されずケガで済み、懲らしめられたタヌキが反省し謝って大団円……なんてかなりヌルいマイルドな内容に改変されているのだとか。
 昔話には勧善懲悪、善因善果悪因悪果、社会の厳しさやモラルというものを、お話というフォーマットで教育するという機能も有していたと考えれば、子供は「ルールを破り悪事を働けば、恐ろしい結果を招く」ということを昔話から学び、残酷譚によって刷り込まれた”恐怖”が、その後の自らの行為のブレーキとしても働いていたのではないかと思う。

 かつては三世代同居の家も多く、年寄りが自宅で家族に看取られて死ぬ、つまり子供といえど日常の中で「死」というものに直面することも、数十年前ですらそう珍しくないことだった。
 現代でもTVやネット上のニュースで毎日のように様々な「死」が報じられてはいるが、それは媒体を介してのものであって、子供心にそれを実感することはそう多くないのではないか。大半の人間は病院で死を迎え、身内でなければそれに立ち会う機会もほとんどない。
 子供に残酷な話をどんどん聞かせて教育しろ、坊主による地獄極楽の説話を聞かせろ、なんて極論を言うつもりは毛頭ないけれども、大人の思い込みによる毒抜きによってそういったものを見えなくさせてしまうことは、幼い頃から死というものへの畏れ(恐れでもあるが)、ひいては命の脆さ、尊さを学ぶ機会を奪ってしまっているんじゃないか、と思わざるを得ない。 

 ーMemento mori(死を記憶せよ)
 この警句は、己の慢心や油断への戒めであると同時に、他者の生命の重さを思え、という意味も含まれているのではないかと勝手ながら思うのだ。 

 昨今はこれら年中行事の大半は様々な商業主義、あるいは胡散臭いスピリチュアル系のビジネスと結び付いて、由来も意味もへったくれも失われつつあるようだが……。  

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